2010年 04月 23日
月に囚われた男
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古き良き時代のかほりがするノスタルジックな正統派SFです。
職人の手作りみたいな感触がなんとも心地よい。久しぶりにセンス・オブ・ワンダーなんて言葉を思い出しちゃったりして、とっても楽しませていただきました。ダンカン・ジョーンズ監督、ありがとうv(お父様によろしく)。
地球で消費されるエネルギーのなんと70%を供給可能な夢のエネルギー源ヘリウム3。サム・ベル(サム・ロックウェル)は世界最大のエネルギー会社ルナ産業との3年契約により、これを採掘して地球へ送る仕事のため単独で月へ派遣される。しかし、その任期も残り2週間となった時、作業中の事故で意識を失ってしまう。目覚めたとき、サムの枕元には、自分とそっくりな男が立っていた……。
他のジャンルならいざ知らず、ジャンルSFで「自分そっくり」と言ったら、まさか生き別れたふたごの兄弟が、というようは話になるわきゃないと思うので、サムが出あった「自分そっくり」が何であったかについては、ネタバレには当たらないという判断のもとに、以下の文書も続けます。ご注意。
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企業にとって、経費の最たるものは、いつだって人件費です。人件費なんか、できるだけ払わずに済ませたいもの。そこでルナ産業が導入したのが労働力としてのクローンです。給料については最初のクローン契約のときにまとめてオリジナルに支払ってしまえば、一々クローンに支払う必要はない上に、クローンは原則としてオリジナルと同じアビリティを持ち、記憶の移入が可能という設定ですから、教育によってオリジナルが取得している知識をも受け継いでいる、すなわち、熟練労働力であるということです。
孤独な環境での単独勤務による労働能率の低下についても、クローン単体の寿命を三年程度に設定しておいて、次のクローンと置き換えるという方法を取ることができる。いつまでも精神を病んだりせず、フレッシュな気分で働いてくれる、まさに夢の労働力。
問題は、クローンもまた人格を持ち、生きる欲求を持ち、愛を知り、孤独を知り、苦痛を知る者であるということ。ルナ産業は、クローンを使い棄てるシステムを機能させるために、かれらに偽の記憶を植え付け、偽の家族とのコミュニケーションを与え、三年で地球に帰れるという偽の希望を抱かせ、そもそもかれらがクローン体であることを慎重に伏せて就業させています。
だけど、いつかその事実をクローンが知ったら?
「クローン独自の人格」というのは古典的なテーマで、色んな作品があるかと思うのですが、このテーマはいつでもとても悲しいです。クローンが自分がどういう存在であるかに気づき、戸惑い、反抗するにしろ、受け入れるにしろ、運命に向き合っていくさまは、いつでもとても痛々しい。
そのクローンの、戸惑い、受容、怒り、絶望、反発、などなどの感情を、ひとりふた役(というか、ふたクローン)で演じたサム・ロックウェルは、ほんとにうまい。同じ人格を持った同じ人間なんだけど、三年分の経験値の差が、ふたりのクローンの反応や行動を分けていく。その同じであってちがうところを、実に巧みに演じわけていて、観客の感情移入を誘うのです。
というわけで、この物語はある意味、非人道的な企業のやり方に気づいたクローンのプロテストの物語なのですが、役者も演出もアイディアもいいけど、設定上で若干気になるところが。
どういう点が気になったかというと、
(1)ヘリウム3の採掘、発送のシステムがあまりに非効率的であることについて。
(2)労働力として敢えてクローンを使うことの非効率さ。
(3)通信障害を演出するための電波妨害の仕組みの迂遠さ。
(4)地球全体のエネルギー供給の大部分を担っているという事業の大きさに比べて、システムが脆弱すぎること、また、それに対するバックアップが何も設けられていないこと。
(5)基地を管理するコンピュータ“ガーティ”の“人格”描写。
(1)は、まあ、見たまんまです。オートメで採掘できるものなら、なにも人間がルナローバーで採掘現場まで赴き、手作業で回収して発送するなどという非効率的なシステムにせず、発送まで完全オートメーションでやればよい。きみならできる。きっとできると思う。
(2)は、アトムの国の科学の子なら、自ずと思ってしまいますよね。これって、ロボットじゃあかんのん? ロボットなら、オリジナルに契約金払う必要もないし、基地での生存を確保するために酸素や食料を供給する必要もないし、なにより大量のクローンを秘密の部屋で冷凍保存するという、とてつもない費用が必要ないと思うんですが、如何か。
ルナ産業はどうやら韓国系の企業のようですが(どういう根拠があって、近未来において、全地球のエネルギー供給を牛耳っているのが韓国系企業であるという解がもたらされたのかは、非常に興味深いところではありますが)、韓国人にそんなロボットが作れないなら、ニッポン人が作ってあげるニダ。悪いことは言わない。ロボットを使いたまえ。
(3)というのは、三年の寿命しか持たず、同じ時間ループを繰り返しているクローンにそのことを気づかせないための演出なわけですが、クローン・サムは、太陽フレアの異常活動により通信衛星が故障して、地球との直接通信ができなくなってしまったのに、会社側は通信の回復にプライオリティを置いておらず、なかなか修理してくれないので、地球(の家族)と連絡をとる場合は、木星経由でタイムラグのあるビデオをやり取りするしかない、という偽情報を信じ込んでいるわけです。
だけど実際には、地球とのリアルタイム通信は可能で、基地頭脳であるガーティは日常的に業務連絡をしているわけですが、なにもをそのことを隠すために妨害電波塔を3基も建てるのは非効率的だと思うわけです。ガーティ以外の者が通信設備にコンタクトできないような仕組みを作っておけばよいだけだと思う。
(1)も(3)も(結果としては(2)ですらも)、結局はラストのサムの行動が成り立つようにするための布石なわけですが、そういう「ためにする」部分が見えてしまうのは、設定としては粗すぎると思うのですが。
(4)は文字通り、言うまでもなく。精神的に不安定なたったひとりのクローンに依存したエネルギー供給システムなんて怖すぎますし、あれだけのエネルギーを供給しているのが、月面上にたったひとつしかない一民間企業の基地だという設定も、リアリティを欠くように思います。基地はいくつもあって、それぞれが互いにバックアップしあえるような仕組みを作っておかなければコワイよ。
(5)ですけども。ここが一番面白くて、でも、一番納得がいかないとこです。
人工知能であるガーティは、本来自分の意思など持たず、プログラムされた以上の独自判断なんかしないんじゃないかと思うのだけど(そして、それでこその人工知能だと思うし、また、美声ながら無機的な響きのあるケヴィン・スペイシーの声をキャスティングした意味も、そこらへんにあるんじゃないかと思うのだけど)、この映画のガーティは、サムに「感情移入」し、「サムのために」、会社命令(本来のプログラム)を裏切り、色々サムに便宜を図ります。
ルナローバーの事故後、外出禁止をくらっているサムを外に出してあげたり、プログラムへのエンターパスワードを教えてしまったり、あまつさえ最後には、サムを守るために自分をリセットせよとすら言い出す始末。それって会社に対する裏切りなんじゃないの? 会社にプログラミングされた人工知能が会社を裏切るような真似ができるっていうのはどういうわけ?
要するにガーティには最初から「自我」に相当する柔軟な思考ができるようプログラミングされていたということですが、でもそれは何のために? 基本的に同じことを繰り返していればいいだけの採掘基地を管理するのに、何も独自思考は必要ないように思うのだけど。
ともかく、そういうことになっているガーティは、何代もの(正確には、サム1号が5代目らしいので、1号サムの前に4人のサム・クローンがいたことになりますね)サムが任期明けと家族との再会を待ち望みながら三年で死んでいく姿を観ているうちに、サムに「感情移入」しちゃったということなんでしょう。
だったら、そこんとこ、もっとしっかり描いてほしかったと思うですよ。だってとっても切ないサイドストーリーになるではありませんか。
だけど、そういう設定が必要だったかどうかは、わたしは疑問だと思います。ガーティはなにもサムの味方である必要はなかったんじゃないかな。定石通りにはなりますが、ガーティを味方ではない存在として描けば、ラストのシークエンスは、敵対する人工知能の裏をかくオペレーション、というサスペンスが持ち込めたし、もしかしたらアクション要素だって持ち込めたかもしれない。そもそもなにより、ケヴィン・スペイシーだものね。せっかくあの冷たい声なのに。スペイシーが「いいひと」を演じるとイライラするのはわたしだけ(笑)?
だいたいあの、「ガーティのその時々の感情を表す」ニコちゃんマークは何なのさ。低予算のセットが安っぽいとは思わないけど、あのニコちゃんマークで安易に「感情」を表現する演出は、あまりに安っぽいと思ってしまったんですけれども。
色々難癖つけてしまいましたが、つまりこの映画は、色々語ってしまいたくなるほどに面白い映画だったということです。わたしはとっても好きでした☆
by shirakian
| 2010-04-23 21:09
| 映画た行