2010年 04月 11日
ハート・ロッカー
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この映画のタイトルが"The hurt locker"であることは百も承知してるんですけど、油断するとつい、"ハート・アタッカー"になってしまうのであります。"heart attacker"って一体どこのERの話だヨ。劇場窓口でうっかり言っちゃうんじゃないかと、チケット買うときは冷や冷やしました。
言わずと知れた本年度アカデミー賞のウィナー。『アバター』を抑えての、作品賞・監督賞・脚本賞を含む6冠という完全制覇と同時に、キャスリン・ビグロー監督の、女優と見まごう美貌にも衝撃が走りぬけました。
関係者の皆様方には、受賞おめでとうございます。
2004年、イラク・バグダッド郊外。任務明けまで残すところ38日となった、アメリカ陸軍ブラボー中隊の爆発物処理班、リーダーのジェームズ二等軍曹(ジェレミー・レナー)とサンボーン軍曹(アンソニー・マッキー)、そしてエルドリッジ技術兵(ブライアン・ジェラティ)の三人は、日々過酷な爆弾処理の任務を遂行していた。
そして38日の任務が明けたとき、ジェームズ二等軍曹のとった決断とは。
事前に、ビッグネームはひとりも出てこない映画だと聞いていたので、冒頭、レナーの前任者をガイ・ピアースが演じているのを観て、ふーん? ピアースぐらいじゃビッグ・ネームとは言わないのかなぁ? と失礼なことを思ってしまったのですが、この映画のピアースは、中盤で出てくるデヴィッド・モース、レイフ・ファインズと共に、映画に華を添えるための(?)ゲスト出演という扱いだったらしいです。
映画に華を添える役と言えば、『インクレディブル・ハルク』の全く学者には見えないけどひまわりのように華やかだったリヴ・タイラーを思い出しますが、ピアース、モース、ファインズという渋いラインナップであっても、映画スターとしての独特のオーラは、鮮やかにスクリーンを彩るに足るもので、一切飾りも潤いもない過酷な情況をドキュメンタリータッチに描いたドライな画面に、一服の清涼剤的効果を与えていたことは確かです。
とは言えこれが男性監督の映画だったら、アンソニー・マッキーの役はミシェル・ロドリゲスあたりが、クリスチャン・カマルゴが演じた人のいい軍医の役はベラ・ファーミガあたりが、それぞれ演じていたんじゃないかな、と思うのだけど、さすが女性監督のキャスティングはあくまで硬派でストイックです。
イラクにおける米陸軍の活動を描いた映画ですから、やれ反戦映画だの、いーや、ちがう、アメリカを称揚する戦争肯定のプロパガンダ映画だの、かなり喧しく言われているような印象があるのですが、どうだろう、うーん、わたしはあんまり、そういう政治的な臭いは感じなかったのですが、この映画には。
最近の戦争プロパガンダ映画と言えば、『大いなる陰謀』のようなアプローチがわかりやすいだろうし、政治的立場を云々しないメッセージ性の高い映画としては『告発のとき 』を思い出しますが、この映画で思い出すのはやはり、『ディア・ハンター』であり、いや、それよりいっそ『ブローン・アウェイ』のようなサスペンス映画じゃないかな、と思うのだけど。
というのはつまり、戦場シーンだけを描いても、必ずしも戦争映画になるとは限らない、というのがこの映画のキモのような気がするのです。言い換えれば、この映画は戦場シーンを描いてはいるけれど、戦争映画として作られた映画ではない、ということになるのかも。
この映画は、爆発物処理という、平穏な日常とはおよそかけ離れた任務をこなし、またその仕事に於いて極めて有能である自分を知ってしまった男が、その仕事にアディクトしていく様を淡々と描いたものであるように思われます。
戦争はこの際、関係ない。なぜなら、ジェームズ二等軍曹にとって、この戦争全体の意義なり是非なり勝敗なりは、どうでもいいことであったから。かれのアディクトが「戦争」に対するものであったのなら、もっともっと戦況や戦術や政治的思惑や、なにより「正義」を行い「勝利」を掴むという過程が大事になっていたはずだと思うのだけど、ジェームズ二等軍曹がそれを気にかけていたとは思えない。
かれのオブセッション要因は、あくまで危険な任務そのものであり、重要なことは、繰り返しになりますが、かれがその任務に極めて有能であった、ということです。つまりかれはこの任務によって、アドレナリン噴出による性的絶頂にも近い快感を感じられると同時に、有能である自分を日々追加確認し、ゴミや虫けらのような存在ではなく、確かに存在意義があり必要とされている、力をもった存在である、という認識を持つことができる。
任務遂行において、かれが正規の手順通り、ロボットや無線を使い、仲間のバックアップと共に仕事をするのではなく、友軍(と観客)の神経を逆撫でするような、無茶としかいいようのないやり方をするのも、敢えて悪天候をおしてビッグ・ウェーブに挑戦するサーファーのようなもの、と思えばわかりやすい。
もちろんそんなこと、サンポーン軍曹にとってもエルドリッジ技術兵にとっても、到底理解できるようなことではなく、迷惑きわまりないもので、サンボーン軍曹がかれへの殺意をほのめかすシーンは、手に汗握るリアリティがあります。
しかしこの、わかりあえるはずのない関係である三人が、酒を飲んで殴り合いをすることで心の距離を縮めるというシーンが描かれるのは、女性監督ならではの、極めて皮肉な演出に思われます。
暴力によって相手に肉体的苦痛を与えることで、ひとがわかりあえるなんて、あるものか? この感覚は、女性には「絶対に」わからないことであろうかと思うのですが(だからビグロー監督も皮肉っているわけだけど)、男性なら全員が理解できる感覚なのかしら? おれは男だけど、殴り合いで和気藹々、というのはわからん、という男性もいるのかしら? そこんとこ訊いてみたい気がします。
ジェームズ二等軍曹の心のありようは明らかに病んでいます。かれが戦争によって壊されてしまったことは否定の余地がありません(だから、この映画は『ディア・ハンター』を想起させるのです)。
ひとたび戦場の極限状態を知ってしまった者は、二度と再び平穏な生活に戻ることはできない。その点に於いてジェームズは明らかに被害者であるし、一旦帰国したかれが、スーパーでシリアルを買おうとして、膨大な商品を前に立ちすくんでしまうシーンは、その情況を端的に表現して印象深く、そしてとても胸が痛いものです。
もはやそこでは生きられない場所を棄て、戦場に戻ったジェームズ。ラストシーンで、かれが新たに配属された部隊での、任務明けまでのカウントダウンが365日にリセットされているのを観て、得も言えぬ重苦しさに圧倒されそうになるのです。
by shirakian
| 2010-04-11 23:58
| 映画は行