2010年 03月 13日
しあわせの隠れ場所
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2010年アカデミー賞の作品賞にノミネートされ、主演のサンドラ・ブロックが主演女優賞を受賞した作品。
貧困家庭に生まれ、路上生活をするところまで追い込まれながらも、リー・アン・テューイ(サンドラ・ブロック)に拾われ、テューイ家の人々に暖かく迎え入れられたことから、アメフト選手としての才能を開花させ、ドラフト一巡目指名でプロデビューを飾ったマイケル・オアー(クィントン・アーロン)選手の物語。実話だそうです。
タイトルの『THE BLIND SIDE』というのは、クォーターバックの死角(ブラインド・サイド)を守るレフト・タックルの重要性を意味するもので、レフト・タックルというのが、オアー選手のポジションであるようですが、社会のブランド・サイドに生まれ、リー・アンとの出会いがなければ、花開くことなく朽ちてしまったかもしれないオアー選手の存在に対する隠喩であると同時に、オアー選手自身が気づいていなかった、かれ自身のブランド・サイドに存在する、才能や能力や可能性といったものへの比喩でもあろうかと思います。
(日本語タイトルの意味は、むずかしすぎてよくわかりません)。
実在の有名なスポーツ選手の伝記であるからには、伝記なりの観方、というものがあると思うのですが、マイケル・オアー選手を全く知らないので、そうした本来の楽しみ方が残念ながら(ほんとにとっても残念ながら)できません。
伝記なのだから、これが実話やねんなー、と思えばいいだけのことで、そこに何らかの普遍性を求める必要はないのに、どうしてもそれを求めて、たぶん、作品に対してはフェアじゃない不満を感じてしまう。
たとえば、寒い冬の夜、半袖シャツ着て路上で震えていたマイケルを拾ったのが、『フローズン・リバー』でメリッサ・レオが演じたレイだったらどんなだっただろう、などと考えてしまう。や、そもそも、レイのような社会の底辺で生きるプワホワイト右代表といった人間はまず、見知らぬよその子の面倒をみようなんて考えてる余裕すらないと思いますが、それでも仮にレイが拾ってしまったら、大食漢のマイケルにお腹一杯食べさせたら自分の子どもが飢える、でも目の前で腹をすかせているマイケルに食べさせないわけにはいかない、そんなギリギリの情況に追い込まれてしまったことでしょう。
でも、そんな情況に追い込まれて尚、マイケルを助けようとしたのだとしたら?
そしてまた、拾われた少年の方も、マイケルのような、素直で礼儀正しくて、大人の言いつけは良く守り、牛のように黙々と努力し、与えられた課題は次々とクリアし、やがては輝かしい成功を手にするといった、万にひとつの奇跡のような少年ではなく、すでに手の施しようのないほど社会からはみだしてしまって、ドラッグやらアルコールやら喧嘩やら窃盗やら(もしかしたらもっと深刻な犯罪まで)にどっぷり首までつかっていたら、どんなに勉強させようが何も学ばず、いくらスポーツの素質があっても簡単に音を上げドロップアウトして、その上、自分は不当に貶められ頭を押さえつけられ搾取されていると白人を憎むような、トラウマと罪悪感と劣等感でいっぱいの子どもだったとしたら。
そんな子どもだったとしても、マイケルのように家族として愛してもらえただろうか?
事実がそうじゃないんだから、そんなこと考えてみたって仕方がないことではあるわけですが、まず、与える側のテューイ家の人々に全く何の痛みもなく、受け取るマイケルの方に全く何の葛藤もないので、そこがなんとももどかしいのです。
テューイ家の人々に痛みがないのは、かれらが持てる者だからで、持てる者にしてみれば、自分の持ち分をちょっぴり削ってだれかに与えたところで、痛くも痒くもないのです。
南部のリッチな白人、夫婦共に有名大学出身で共和党支持者、夫は元バスケットの選手、妻は元チアリーダーでライフル協会の会員。
そんな、満ち足りて尚余裕がある人々が、マイケルを助けたことを、偽善だとは全く思いません。そこにあるのはやはり、純粋な善意であり、人間的な同情であり、掛け値なしに芽生え育った身内意識で、それに嘘はないと思う。何よりかれらはよきカトリック信者であり、よきカトリック信者であれば当然と考えることを、素直に実行しているわけですから、そもそも嘘や偽善の入り込む余地はない。
だけど、でも、と思ってしまう。でも、テューイ夫妻は別に、全ての貧困層の子どもたちに手を差し伸べたわけじゃなく、たまたま助けたマイケル以外の、たまたま取りこぼされたその他大勢の子どもたちは、たまたま助けられなかったばっかりに、悲惨な境遇から抜け出せずにいるのだと。
そして、マイケル側からの葛藤が描かれないということは、貧困や差別を描く気が全くないということにほかなりません。そもそも主眼はそこにはないのだから、それが描かれていないと言うのはお門違いであることは承知の上で、なんだかなぁ、と違和感を感じてしまうのです。
いい話、であるに違いないです。
演出的にはかなり笑わせてもらえたし、サンドラ・ブロックの演技はもちろんいい、でも、わたしはちょっと、物足りなく思ってしまいました。
by shirakian
| 2010-03-13 20:42
| 映画さ行