2010年 01月 15日
ヴィクトリア女王 世紀の愛
|
年明けて、二週間も経ってからの初スクリーンとなりました。
……ずっと体調が悪かったせいですが、ようやく気を取り直して劇場に出かけよう! と思ったその日は、温暖なわたしの街が吹雪いてましたよ(汗)。やーね。
それはともかく、ヤング・ヴィクトリアです。
英国史上最長の在位を誇り、「君臨すれども統治せず」という卓見を以って議会制民主主義を貫き、愛する夫アルバートと共に、イギリスに未曾有の繁栄をもたらした英明な女王ヴィクトリアの青春の日々。
ヴィクトリア朝というのは、加速してきた産業革命の波に乗って、英国社会が(っていうか、世界全体が)ダイナミックな変貌を遂げつつあった時代であり、植民地主義政策により、イギリスがその領土を極限まで拡大していった時代であり、イギリス社会としては、晴れやかな陽光に照らされる反面、あまたの社会矛盾が噴出した時代でもあったわけですが、この映画では、そうした時代の息吹や、激動の社会情勢などというものはほとんど全く描かれておらず、ヴィクトリアとアルバートのラブストーリーが主軸になっています。
ヴィクトリアがエミリー・ブラント、アルバートがルパート・フレンド。
エミリー・ブラントがね、とってもいいんですのよ。たぶんきっと、ヴィクトリア女王自身が魅力的な女性だったのだろうな、と思うのですが、その女王の若き日々を、ほんとにチャーミングに演じていらっさる。
唯一の王位継承者として、常に暗殺の危険にさらされていたため、幽閉同然で育ったにも関わらず、好奇心や進取の気勢や気力やガッツを失わず、支配しようとする年長者を毅然として退ける強さを持つ反面、年長者の忠告に素直に耳を傾ける柔軟さも失わない、ほんとうに聡明な女性であったのだなぁ、というのが素直に得心できる演技です。
恋する娘の生き生きとした躍動感と、女王たる威厳を、共に表現しているのが素晴らしく、その女王の威厳にしても、おどおどした子ども時代から統治者としての貫禄を身につけていくに到るグラデーションを丹念に演じ分けているのがまた、素晴らしいです。
その素晴らしいブラントが、とっかえひっかえする衣装がまた素晴らしく、その素晴らしい衣装がまた、豪華絢爛たるセットに映える撮影が素晴らしいです。戴冠式のシーンとか、息をのむほどゴージャスであります。
そうした中で、旧態依然たる英王室の内情を皮肉ったり(窓の内側を拭く係と、外側を磨く係は管轄が違うので、窓は常に汚れたまま、とか)、イギリスに於ける王室は(万世一系を謳う日本の皇室とは異なり)あくまで国民の選択の上に成り立つものであり(だから平気で外国人が王位にもつくし、ヴィクトリア自身、英語のネイティブスピーカーですらない)、国民(議会)の支持がない限り存続はできないが、一方でまた、王権は連綿と続いていくが、政治家は選挙で落ちればただの人になりさがる点などを、ピシリと押さえているのも面白いです。
王権をめぐる物語と言えば、権謀術数が渦巻く血なまぐさい世界になりがちなのに、ヴィクトリアとアルバートの間には、(そもそもアルバートは政略結婚の道具としてヴィクトリアに近づいたはずであったにもかかわらず)ほんものの愛情が通いあい、互いを尊重しあえる最高のパートナーであったことが伺われるあたりも、実にさわやかで感じがよいのです。
なので、概ね、好感度の高い映画ではあるのですが、実はわたし的には、ちょっと不満だったりして。
なぜかというと、わたしがこの映画を観たいと思った動機が、ヴィクトリアそのひとではなく、彼女を取り巻く曲者たち、ジョン・コンロイとメルバーン卿とベルギー国王レオポルドだったからです。
……すみません。ちょっと見栄をはりました。ほんとうの目的は、その三人じゃなくて、その三人を演じたマーク・ストロングとポール・ベタニーとトーマス・クレッチマンだったからです(汗)。
だって、ちょっと、これって、凄い顔合わせだと思いません? 期待するなという方がムリですわ(笑)。
そういうスタンスから言わせていただければ(何を偉そーに、このミーハーが(笑))、コンロイもメルバーンもレオポルドも、それぞれビジュアルはとっても魅力的ですが、もう少しキャラクターを描きこめなかったのかなぁ、と物足りなさを感じてしまう。
例えばコンロイって、どぉゆーひとだったのか? 幸運にも王位継承者の母親を篭絡することに成功しただけの、金権亡者だったのか? それともかれなりに「この国」についてビジョンなりプランなりを持ち、国の繁栄や発展を願ったひとだったのか? かりにそうだったとして、実際に権力を握った暁には、国を動かし得るほどの才能なり度量なりを持ったひとだったのか? それともやはり、王位継承者の母親をたぶらかすことしかできない二流三流の男だったのか?
そういうことは、歴史を見れば自ずとわかることじゃない、とか、そういうことじゃなく、ここで言っているのは、事実はどうあれ、「この映画としては」コンロイをどんな人物として描こうとしたのか、描きたかったのか、ということなのです。主役じゃないんだから、さほど時間が割けないのは仕方がないにしても、やっぱりもうちょっと人物造形をクッキリと見せてくれていたら、もっとずっと楽しかったんじゃないかなぁと思うのですが、つまり、わたしが。
同じことは、メルバーンにもレオポルドにも言えることで、どうもやはり、あまりに表層的一面的な描写で食い足りないです。
レオポルドとかねー、ウナギのように捉えどころのない男だ、とか劇中台詞で言われちゃってたりはしますが、捉えどころがないのはレオポルドじゃなくて、レオポルドの描写の仕方だっちゅーの、と思わず思ってしまったり。身内ですら政争の具にして憚らない野心(保身?)満々の人物だったのか、それとも、ヴィクトリアからもアルバートからも信頼され慕われたよき叔父貴だったのか。ソレ、両方だよ、と言われれば、それは、だれにだって二面性はあるだろうけど、人間だもの。
第一、ですね、クレッチマンのレオポルド、若すぎますから、ハンサム過ぎますから。これだけ若くてハンサムだったら、何も政略結婚のコマに甥なんか担ぎ出さなくても、自ら立て! と言いたくなってしまうのですが、叔父と姪じゃ結婚はムリですか、そうですか。
それを言うなら、メルバーン卿なんか、もっとです。(もっと何?)。
えーと、実際のヴィクトリアとメルバーンは40歳も年が離れていたわけですが、ブラントとベタニーの年齢差は、わずか12歳。このふたりは、ビジュアルからして、もう全然お似合いなんですもの、ちっともスキャンダルじゃないんですもの。ええい、英国国民め、なにを騒いでおる、という感じです。や、しかし、ここでふたりが結ばれてしまっては、パラレル英国史になってしまうわけですが。
ヴィクトリアにとってメルバーンが政治上のよき師であったには変わりないけれども、実際はふたりの政治に対する考え方というのは、本質的な部分で相容れないところもあったようで、映画でもその辺りのすれちがいっぷりをほんのりと描かれてはいるのですが、こういう面白いところは、ほんのりじゃなくて、じっくりしっかり描いてくれれば、英国の世相なり何なり、もっと大きなビジョンを見せることもできただろうに、やっぱりちょっと残念だなぁ、という気もしてしまうのでした。
ラブストーリーなんだから、ラブストーリーとして魅力的ならそれでいいわけですが、このような不満を感じるあたり、おじさま三人に比べて、ルパート・フレンドが(あくまでわたしにとって)若干魅力薄だったかのかなぁ、と思わんでもないです。
by shirakian
| 2010-01-15 21:12
| 映画あ行