2012年 05月 20日
★ネタバレ注意★

フィンランドの名匠、アキ・カウリスマキ監督が、フランスの小さな港街ル・アーヴルを舞台にフランス語で撮った、フィンランド・フランス・ドイツ合作映画。
マルセル・マルクス(アンドレ・ウィルム)はル・アーブルの靴みがき。かつてはホームレスまがいの暮らしを送っていたのだけれど、優しい異国の女性アルレッティ(カティ・オウティネン)と巡り合ったことにより心を入れ替え、いまはベトナム人の相棒チャング(クォック=デュン・グエン)と共に、まじめに靴みがきに勤しむ日々。マルセルが慎ましく勤勉に暮らすのは、妻のアルレッティを心の底から愛していて、彼女を幸せにしたいと願ってやまないから。そんなマルセルはある日ひょんなことから、イギリス移住を夢見てフランスに密航してきた少年イドリッサ(ブロンダン・ミゲル)と出会い、モネ警視(ジャン=ピエール・ダルッサン)らによる厳しい取り締まりから匿うことになった。
わたしは涙腺がとてもゆるいので、映画を観てもよく泣きます。悲しくて泣き、切なくて泣き、嬉しくて泣き、つらくて泣き、怒りのあまり泣き、イ・チャンドン監督の映画を観たときなんかは、一体自分がなんで泣いているのかもわからないままに、得体の知れないすさまじい感情につきあげられて、気がつくと泣いていることもあります。
そしてこの映画ですが、やっぱり泣きました。いとおしくて泣きました。
それがどうも、自分でもよくわからない。果たしてひとは、いとおしくて泣くものであろうか? 自分でもよくわからないことが、およそ普遍的な反応であるとは思われないのだけれど、ただわたしは、途中から涙が止まらなかった。登場人物のだれかに感情移入して、というより、映画そのものがいとおしくて胸が一杯になってしまった。
そもそもこの映画は、いたずらに感動を煽るような演出は一切していないのです。だってアキ・カウリスマキ監督だものね。そりゃあもう淡々としている。ブルーグレイで統一された画面は、フランスが舞台だというのにラテンの明るさなんてかけらもなくて、フィンランドの場末の町のように冷え冷えと湿っぽい。色彩に乏しい世界の中で暮らす人々も、表情に乏しく、情感に乏しく、淡々としている。声を荒立てたり、身を振り絞って嘆いたり、大声で陽気に笑いさざめいたりすることはない。
そして監督の演出は、徹底的にリアリズムを廃している印象。それぞれの役者の行動には、「所作」と呼びたいような様式美がある。その幾分かは、もしかしたらプロの役者さんじゃなくて素人を使っているのでそもそも演技なんかできない、という部分もありそうだなぁ、という感じもするのだけど(勘違いだったら演技者のみなさまには心からお詫び申し上げます)、それすらも、そういう雰囲気を作りあげるための監督の戦略なんだろうと思う。
たとえば、イドリッサたちの密航グループが潜んでいたコンテナが発見され、扉が開かれるシーンなんかが典型的。荷降ろしの際の不手際で、数日間密閉されたコンテナに閉じ込められたままの状態で港で過ごした人々。普通だったらコンテナの中は酷いありさまになっているはずで、実際、台詞の上では、扉を開けても中のひとたちはもう生きてはいないかも、というようなことを言っていたりするんだけれど、実際扉の中に現れた風景は、親族が集まって何かの時を待っている静かな居間のようなたたずまい。凄まじい臭気も、疲労も飢えも渇きも病気も表現されることはなく、ただ人々の顔だけがアップで捉えられ、印象的な瞳で見つめられるのみ。
この演出はリアリズムとは全く別個のところにあるものだというのに、しかし観客は、その人々の見つめる瞳に打ちのめされる。知る由もないかれらの記憶が流入してくる。そんな錯覚を受ける。
そうした世界観をだれよりも体現しているのがヒロインのカティ・オウティネンです。マッチ売りの少女 マッチ工場の少女だったはずのオウティネンが、いきなり老婆になって出てきたので呆気にとられてしまったのですが、調べてみると、この女優さんは1961年の生まれ、ということは、レイモンド・クルツと同じ年。なにもここまで老けこまなくても(汗)。尤もこのひとは若い頃から老成した雰囲気をお持ちだったわけで、恐らく60歳になっても70歳になってもあんまり印象が変わらないんじゃないかな。そういうタイプの女優さんなんだね。
で、オウティネンはいつも、「理不尽なまでの無表情」と称されているひとなんだけど、ほんとに顔面筋を動かさない。しかもこの映画では言語が母国語ではないために、台詞まわしも硬いので、ほんとにとりつく島がない感じ。ところが。だったら、彼女が演じるアルレッティの感情なんか、観客には全く伝わってこないのかというと、そんなことは全くないから恐れ入ってしまうのです。観客は少ない描写から、彼女のささやかな人生の哀歓を感じ取り、幸福をかみしめ、切なさを共有させられてしまう。一体全体オウティネンがどんな魔法を使ってそんなことをなし得ているのか見当もつかない。オウティネン以外の役者さんには絶対にできない業であるような気さえします。
オウティネンのほかにも、主演の靴みがきを演じたアンドレ・ウィルムのたたずまいは実に味わい深いです。恐らく世界で一番威厳のある靴みがき。そもそも押し出しが立派であるせいなんだけど、しかしそれは威圧的なのではなく、自分の身丈にあった形で人生を受け止めているひとの尊厳がある。
そして、イドリッサに粋なはからいをしてくれたモネ警視を演じたジャン=ピエール・ダルッサンは、フランスのビリー・ボブ・ソーントンという風貌。これまた渋くてステキ。
静かな時間の流れる世にも優しい映画の、世にも優しいサプライズ・エンディングには心の底がじんわり温かくなります。映画がいとおしくてたまらなくなります。もしかしたらあなたも、いとおしくて泣いてしまうという経験をするかもしれない。
・ル・アーヴルの靴みがき@ぴあ映画生活

フィンランドの名匠、アキ・カウリスマキ監督が、フランスの小さな港街ル・アーヴルを舞台にフランス語で撮った、フィンランド・フランス・ドイツ合作映画。
マルセル・マルクス(アンドレ・ウィルム)はル・アーブルの靴みがき。かつてはホームレスまがいの暮らしを送っていたのだけれど、優しい異国の女性アルレッティ(カティ・オウティネン)と巡り合ったことにより心を入れ替え、いまはベトナム人の相棒チャング(クォック=デュン・グエン)と共に、まじめに靴みがきに勤しむ日々。マルセルが慎ましく勤勉に暮らすのは、妻のアルレッティを心の底から愛していて、彼女を幸せにしたいと願ってやまないから。そんなマルセルはある日ひょんなことから、イギリス移住を夢見てフランスに密航してきた少年イドリッサ(ブロンダン・ミゲル)と出会い、モネ警視(ジャン=ピエール・ダルッサン)らによる厳しい取り締まりから匿うことになった。
わたしは涙腺がとてもゆるいので、映画を観てもよく泣きます。悲しくて泣き、切なくて泣き、嬉しくて泣き、つらくて泣き、怒りのあまり泣き、イ・チャンドン監督の映画を観たときなんかは、一体自分がなんで泣いているのかもわからないままに、得体の知れないすさまじい感情につきあげられて、気がつくと泣いていることもあります。
そしてこの映画ですが、やっぱり泣きました。いとおしくて泣きました。
それがどうも、自分でもよくわからない。果たしてひとは、いとおしくて泣くものであろうか? 自分でもよくわからないことが、およそ普遍的な反応であるとは思われないのだけれど、ただわたしは、途中から涙が止まらなかった。登場人物のだれかに感情移入して、というより、映画そのものがいとおしくて胸が一杯になってしまった。
そもそもこの映画は、いたずらに感動を煽るような演出は一切していないのです。だってアキ・カウリスマキ監督だものね。そりゃあもう淡々としている。ブルーグレイで統一された画面は、フランスが舞台だというのにラテンの明るさなんてかけらもなくて、フィンランドの場末の町のように冷え冷えと湿っぽい。色彩に乏しい世界の中で暮らす人々も、表情に乏しく、情感に乏しく、淡々としている。声を荒立てたり、身を振り絞って嘆いたり、大声で陽気に笑いさざめいたりすることはない。
そして監督の演出は、徹底的にリアリズムを廃している印象。それぞれの役者の行動には、「所作」と呼びたいような様式美がある。その幾分かは、もしかしたらプロの役者さんじゃなくて素人を使っているのでそもそも演技なんかできない、という部分もありそうだなぁ、という感じもするのだけど(勘違いだったら演技者のみなさまには心からお詫び申し上げます)、それすらも、そういう雰囲気を作りあげるための監督の戦略なんだろうと思う。
たとえば、イドリッサたちの密航グループが潜んでいたコンテナが発見され、扉が開かれるシーンなんかが典型的。荷降ろしの際の不手際で、数日間密閉されたコンテナに閉じ込められたままの状態で港で過ごした人々。普通だったらコンテナの中は酷いありさまになっているはずで、実際、台詞の上では、扉を開けても中のひとたちはもう生きてはいないかも、というようなことを言っていたりするんだけれど、実際扉の中に現れた風景は、親族が集まって何かの時を待っている静かな居間のようなたたずまい。凄まじい臭気も、疲労も飢えも渇きも病気も表現されることはなく、ただ人々の顔だけがアップで捉えられ、印象的な瞳で見つめられるのみ。
この演出はリアリズムとは全く別個のところにあるものだというのに、しかし観客は、その人々の見つめる瞳に打ちのめされる。知る由もないかれらの記憶が流入してくる。そんな錯覚を受ける。
そうした世界観をだれよりも体現しているのがヒロインのカティ・オウティネンです。
で、オウティネンはいつも、「理不尽なまでの無表情」と称されているひとなんだけど、ほんとに顔面筋を動かさない。しかもこの映画では言語が母国語ではないために、台詞まわしも硬いので、ほんとにとりつく島がない感じ。ところが。だったら、彼女が演じるアルレッティの感情なんか、観客には全く伝わってこないのかというと、そんなことは全くないから恐れ入ってしまうのです。観客は少ない描写から、彼女のささやかな人生の哀歓を感じ取り、幸福をかみしめ、切なさを共有させられてしまう。一体全体オウティネンがどんな魔法を使ってそんなことをなし得ているのか見当もつかない。オウティネン以外の役者さんには絶対にできない業であるような気さえします。
オウティネンのほかにも、主演の靴みがきを演じたアンドレ・ウィルムのたたずまいは実に味わい深いです。恐らく世界で一番威厳のある靴みがき。そもそも押し出しが立派であるせいなんだけど、しかしそれは威圧的なのではなく、自分の身丈にあった形で人生を受け止めているひとの尊厳がある。
そして、イドリッサに粋なはからいをしてくれたモネ警視を演じたジャン=ピエール・ダルッサンは、フランスのビリー・ボブ・ソーントンという風貌。これまた渋くてステキ。
静かな時間の流れる世にも優しい映画の、世にも優しいサプライズ・エンディングには心の底がじんわり温かくなります。映画がいとおしくてたまらなくなります。もしかしたらあなたも、いとおしくて泣いてしまうという経験をするかもしれない。
・ル・アーヴルの靴みがき@ぴあ映画生活



